国史跡 志太郡衙跡 > 施設案内
施設案内
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 ■志太郡衙跡
志太郡衙跡は、奈良・平安時代の駿河国志太郡の役所跡です。昭和52年、駿河台団地の造成に先立つ発掘調査で、御子ヶ谷と呼ばれていた谷あいの水田を深さ 20~40cmほど掘り下げたところ、石敷道路や板塀に囲まれて整然と並ぶ30棟の掘立柱建物の跡が発見されました。また、出土した食器類のなかに志太という地名や奈良時代の郡役人の官職名、役所の施設名を墨で書いたものがあり、ここが奈良・平安時代の志太郡の役所跡であることがわかりました。

このように、郡衙跡が墨書土器(ぼく しょ ど き )の文字によって裏付けられた例は学術的にもたいへん貴重で、昭和55年には国指定史跡となりました。

平成2~4年度には、古代の郡役所の建物などを指定復元する「ふるさと歴史の広場」づくり事業が行われ、当時の姿がしのばれるようになってきました。

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 ■志太郡衙の周辺
万葉集に「志太の浦を 朝こぐ舟は よしなしに 漕ぐらめかもよ よしこさるらめ」という駿河国の人のよんだ歌が載せられています。
朝霧にけむる静かな葦原の情景が浮かんできますが、この歌のように志太郡衙付近は今の地形とは大きく異なり、川や湿地が奥地まで入り込んで大きな入江をつくっていました。この辺りでは、低地に面した山裾や洲などのわずかに高まった場所に遺跡が分布しています。

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 ■志太郡衙の仕事
租・庸・調・雑徭(ぞうよう)の税を取る事務と租税を納めた正倉の管理が郡役所での主な仕事とされ、長官は戸籍の作成、簡単な争いごとの裁判、祭祀(さいし)、国の役人の接待などの任務も行っていました。庁屋では公文書の作成や租税の帳簿を付けたり、荷造りや運搬をする役人が働いていました。井戸のまわりでは祭祀が行われ、廚(くりや)の建物は食事の容易や配膳をする人でにぎわっていました。
こうした仕事ぶりを示すように、出土品には陶硯(すずり)や木簡、食器として使用した大量の土器、(須恵器・土師器)、しゃもじ、箸、曲物(まげもの)、漆塗りの鉢、下駄、くし、祭祀用品、農具、漁具などが見られます。郡役所の主な役人は郡司と呼ばれ、大領、小領、主政、主帳の四つの役職がありました。

当時の税には、租(口分田から収穫された稲の3%を納める)、庸(1年に10日間郡で使役されるか、代わりに布を納める)、調(各地の特産物を納める)、雑徭(国司が60日以内使役する)などがあって、郡役所に集められました。

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