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 志太郡衙の風景 13
◆グンガソムリエの興津さんからの記事(第13弾)を紹介します。

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福島久幸氏復元の紫紙金字金光明最勝王経
(一部十巻の内から)


「黄金の国ジパング」展

  昨年の7月12日に国立科学博物館に始まり、熱海MOA美術館・新潟万代島美術館を経て、山梨県立博物館で催されていた「金GOLD 黄金の国ジパング展」がこの6月15日をもって終了した。この展覧会には福島久幸さんの「紫紙金字金光明最勝王経」一部十巻が展示され、多くの参観者の目に触れたことと思う。ところで、私が志太郡衙と福島さんの金泥書に関わりを見出し、記事にしているのは双方が機能していた時代が重なるからである。すなわち天平9・10年駿河正税帳(正倉院文書)には志太・益頭郡の記事が残っており、福島さんが志した金字国分寺経研究および復元の発端は、天平13年に聖武天皇が発布された詔勅(続日本紀)にあるということである。
 このたび国立科学博物館により発行された図録『金GOLD 黄金の国ジパング』には、金泥経「金光明最勝王経」の復元と題して、福島さんが試みた、紙漉・染色・打紙・瑩紙・写経・校正・瑩生など同経典復元の工程が記載されているが、なかでも眼を引くのが次の部分である。
「天平時代の写経に使われた金粉の量は、正倉院文書に「1両当たり28枚」と記されている。当時の1両は大仏に使われた量からして、金の場合は小両(約14グラム)と考えられている。1枚当たりでは約0.5グラムとなるが、今回の復元に使われた金粉はほぼ同量の0.6グラム。金粉の量は紙質や金泥濃度により大きく異なると考えられるが、ほぼ同量であったことから、当時の工程と同じように写経されたと思われる」。
 福島さんは、「紙の加工や金泥の濃度にこだわり、数多くの実験を繰り返した。しかし1枚当たりに費やされた金粉の両まで算出して写経したのではなく、結果として天平写経の作業と等しいとされたわけで、科学博物館のこの指摘は思いもよらなかった。書写記録を書き残した甲斐があった」と喜ばれた。
                        

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