| 志太郡衙の風景 17 | |
| ◆グンガソムリエの興津さんからの記事(第17弾)を紹介します。 写経生と福島氏の金粉使用量 『漢書律暦志』に、黄鐘管を満たす黍1,200粒の重さを12銖、これを二つ合わせて両とし、1両=24銖とする、とある。そして1両=14.18グラム。これが変化して唐代には約12.5グラムになり、その3倍、37.5グラムが大両として公定され、大宝律令に取り入れられた。後に江戸時代、狩野棭斎が自ら重両計算したその結果は1両≒14.17グラムであった。「中国度量衡史」には1両≒13.92グラム。もともと黍の粒を一定容器に入れて計った重さであるから僅かな誤差は免れない。それらを根拠に1両(小)を14グラムとして「正倉院文書」写書所解に記されている、天平勝宝3年3月11日 (金泥)1両写28張を計算すると、金泥書写1枚あたり0.5グラムである。(参考:写書所解 天平勝宝3年6月9日 (金泥)1両写紙30張という記載もある) ところで福島氏の金泥使用量は、同氏著『天平金泥経典の謎』に明らかである。例えば、最勝王経第一巻 紫打紙29枚 金粉15グラム、第二巻 20枚13グラム……すなわち、一枚当たり0.56グラム。さらに『金光明経』一部四巻における一枚当たりの金粉使用量は0.53グラムである。ただし、福島氏は国立科学博物館・横山一也氏に指摘されるまで、自の金泥写経一枚当たりの金粉量を小両計算するに思い至らなかった由。 ややこしいのは当時、大両・小両と二種の重量単位が用いられていたこと。じつは、それには規定があった。養老律令、雑令第三十から該当するところを抜き出すと、 1 権衡は24銖を両とせよ。3両を大両1両とせよ。 2 凡そ土地測量、銀、銅、穀を量る場合は皆大を用いよ。この外は、官私悉く小なるものを用いよ。 (『律令』日本思想体系 岩波書店) 参考:『度量衡の事典』阿部猛著 同成社 『秤』小泉袈裟勝著 法政大学出版局 | |
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