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 志太郡衙の風景23

日本武尊
(日本平)
23日本武尊

『古事記』は記す、

―倭建命が相武国に到った時、その地の国造が騙して言う、「この野に大沼があり、そこには荒ぶる神が住む」。命はこれをみとどけようとその野に入る。これを狙っていた国造は野に火を放つ。謀られたと知ると、命はヤマトヒメから賜った刀で草を刈り払い、嚢から取り出した火打石を打って向い火を焚く。こうして国造らを切り崩し、火だるまにして倒した。因ってその地を今に到るまで焼遣(焼津)という。

 同じ野火事件を『日本書紀』に読むと、

―この年、日本武尊は初めて駿河へ行った。すると、その地の賊が服従すると見せかけて「この野には大鹿が多い。行って狩りをなされよ」と誘う。尊が言葉通り狩りに出たところ、件の賊は尊を亡き者にしようと野に火を放つ。尊は欺かれたと気付き、嚢から取り出した火打石で迎え火を燃やして逃れた。一説に、尊が差していた天叢雲剣が自ら抜け出し、尊の傍らの草を薙ぎ払って尊を助けたことから、この剣を草薙と称し、賊どもを焼き滅したその地を焼津という。

 相武と駿河の違いについては諸説あるが、その検討は識者にまかせて、私は近い所のヤマトタケルに会いに出かけた。

貫禄をそなえた焼津神社の日本武尊。同神社に近い普門寺の隣には「御沓脱ぎ旧跡」が設えられ、瑞々しい日本武尊が立つ。休息する尊に老女が小麦飯を差し上げたとされ、8月大祭には小麦飯が供えられる。草薙の剣所縁の草薙神社にも日本武尊が立ち、本殿には焔の中で剣を振るう尊の扁額が掲げられている。尊の兵器庫とされる矢倉神社にも一体。そして戦の果て、平定した地を眺めて日本平に立つ日本武尊はイケメンだ。

30で生涯を閉じ、白鳥となって天翔るヤマトタケル伝承は尽きることがない。『古事記』をひもとき、とりあえず尊像を巡ったきっかけは、福島久幸さんが仕上げた金泥書『古事記』全巻にある。北原白秋作詞、信時潔作曲「海道東征」(神武天皇の東国遠征)カンタータを聴きながら、『古事記』は金字で残すに値する古典であることをあらためて実感した。





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