時々他県から古代史の専門家や研究者がみえるという郡衙跡は閑静なたたずまい。では郡衙跡発見(誕生)当時のようすはいかがであったか、志太郡衙跡(当時は御子ヶ谷遺跡・みこがやいせき、と呼ばれていた)が発掘された30年前(1977年)の現場に、新聞報道を拾って私も立ち会ってみた。当時は藤枝に住んで数年経った頃で、遺跡発掘のニュースは私の耳目を素通りしただけ。 まず、静岡新聞社に当時(昭和52年)の志太郡衙に関する記事を探してもらったが、掲載日付などを特定してほしいという。じつはそれが知りたかったのだ。そこで博物館に行き、事情を話すと、岩木学芸員がパソコンを検索し、市史編纂にかかわる資料から、発掘当初の報道記事を即刻引き出してくれた。 | |||
| |||
西からは岸俊夫京都大教授、東からは井上光貞国立歴史民俗博物館館長の日本古代史の両重鎮が、いち早く御子ヶ谷遺跡を訪れるなど、考古学、古代史、地理学、古建築学会の先生方が数多く藤枝に足をはこんだ。この頃より御子ヶ谷遺跡(郡衙跡)保存が協議され、55年(1980)10月22日、国指定史跡となる。「塩出谷川」散策のきっかけになった原島礼二教授の論文は、11月7日の記事にある「視察」によって生まれたのである。当時の熱気が伝わってきます。郡衙跡誕生から30年、郡衙の時代の人々の眠りを、万葉時代の風景とともに呼び覚ます。1200年前、古代だって昨日今日じゃないですか!豊かさってそういうもの、ねえ皆さん。 | |||
copyright©muse fujieda All rights reserved.
指定管理者:静岡ビルサービス株式会社
(鈴与グループ)